2016年9月19日月曜日

寒河江チャン(先生)にも会って来たよ(^^)

寒河江チャン(先生)ありがとう
2016年夏、リオ(ブラジル)オリンピックが開催されました。そして、オリンピックと同会場で後続で開催されていたパラリンピックも今週末で閉会しましたね。気がつけばオリンピック開催から約一ヶ月の月日を経たことになります。

こんな調子でアッという間に4年後、2020年東京(日本)でオリンピックが開催されていることでしょう。

そんな2016年夏は、我々高38回生にとって磐南卒業30年の慰霊祭・懇親会2016年の夏でした。(慰霊(祭)だなんて…特にご遺族にとってはデリケートで凄〜くプライベートなことを大胆にもそしてある意味で無神経にも同窓会の年次行事として毎年エイヤっと執り行い続けていることに個人的には疑問を抱く部分もあるのですが…。)

ともかく、行事の趣旨をポジティヴに捉えつつ幹事メンバーを中心に年次担当学年のお役目としてチャンと伝統行事を執り行ってくれました。同時に、我々の学年の卒業30年の大きな集まりも開催されました。その結果、たくさんの同窓生が集うことが出来ました。これは嬉しくありがたいことでした。

この慰霊祭のタイミングで2016年2月に亡くなられた寒河江チャン(先生)へもご挨拶へいって参りましたので少し紹介させて頂きます。(同じHRだった鈴木(淳)さんはじめ、先生とご縁のあったご近所在住のかたなどそれぞれ個別におじゃまさせて頂いていたかたもいらっしゃった様子です。)

このような報告をどんな調子(文体)で書くべきか?そもそも書かないべきか?写真なんて公開して良いものか?そもそも撮って良いものか?そんなことをこの一ヶ月間ずっと考えていたのですが、気づけば随分時間が経ってしまいました。なので、明確なイメージはまだ固まらないままではありますが、これ以上遅くなることも嫌なので…これまた大胆かつ無神経に書かせて頂きます。

個人的には、あんまり畏まった文体や重く硬めの文体は苦手なのでいつもの調子で、先生のこともチャン付けで失礼しています。

■写真はこちら





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■恩師(先生)メモ

寒河江武志さん(先生)…さがえチャン(ex/ 34HR…1986年当時)

2016年2月に亡くなられた寒河江チャン(先生)。『お元気だったら同じテーブルを囲んでいただろうに…。』なんて、思った懇親会2016。2月に突然の訃報を携帯へ連絡貰ったのだがお通夜へもお葬式へも参列できませんでした。少し気にはなっていたけど、200Km以上離れた距離と同じHRメンバーが行ってくれることを言い訳になんとなくそのままにしていた。寒河江チャン(先生)のお宅へ電話をしてみたのは慰霊祭の翌日の午後。電話に出られた奥様にお願いしてその翌日2016年8月23日(火)にお線香をあげにお邪魔させてもらうことにした。

丁度、初盆のお飾りが片付けられた後でした。そこでお線香をあげさせて頂いた後、少しお時間を頂けて奥様から在りし日の寒河江チャンのお話をうかがうことができました。

温かいご家族に囲まれて凄〜く幸せな晩年だったご様子でした。先生のおかげで奥様もご家族も凄〜くお幸せだった様子です。あの日あの時、先生のお姿はみえませんでしたが魂は我々と一緒にいてくれたような気がします。

そうそう、戒名は…『体教武徳上座』。素敵な戒名だと思いました。こういうことに全く詳しくないのですが、ちゃんと寒河江チャンの佇まいを表している気がします。(本記事内リンクより高38生限定でこっそりと公開させて頂いている写真を良くご覧頂くと…この『お位牌』のお写真=お仏壇の左上に青白い不思議な光が映っています。コレ、きっと寒河江チャンですね(^^))

寒河江チャンは昔からスバ抜けた身体能力だったそうで足が早くてオリンピックへの出場も期待される程のスプリンターだったそうです。陸上大会で一挙に五人抜きでのチームを逆転優勝をされたエピソードやそのことが記された寒河江チャンの兄上からの初盆にあたり届いたお手紙や思い出の貴重な品もみせて頂きました。更に相撲、特に『柏戸』という力士が大好きだったことも教えてもらいました。

高校のHR担任って、小中の担任と違って微妙な距離感があるのですが、寒河江チャンは絶妙な心地よさと距離感=ポジショニングの担任でした。近くも遠くもなく、ドライでもウエットでもなくという感じ。受験教科の教諭で無かったことも良かったのかもしれません。ズケズケと入り込みすぎない感じやシャイな物腰、距離感を維持してくれるところが好きだった。スマートにそつなくやるというより『不器用ですからっ』なんて言葉には出さないけど高倉健さんバリに『真面目に誠実に』コトを進める感じ。特に、多感で閉鎖的だった私にとっては言葉じゃなくて背中で教えてくれる感じが好きだったみたいです。今思うと。

当時、卒業式が終わった後、大学合否が判明して進路の報告をする為にへ改めて高校の職員室へ行った時、私は先生へ晴れやかな顔で報告へ行けませんでした。(残念な結果報告であった為に)その時は私なんかよりも先生にすまなそうで残念そうな表情をさせてしまいましたね。そんなことを当時、進路の結果報告へ行った帰り道にも思ったことは今も憶えている。

先生は、私の亡父と同い年(昭和8年生まれ)だったそうだ。白髪交じりの先生のことを亡父とダブらせながら、寒河江チャンも当時丁度我々と同じ位の歳だったのかもしれない。などとも思ったりします。

奥様との馴れ初めや我々がお世話になっていた当時のご家庭での思い出の話なんかも訊かせて頂いて『周りの人を大切にしなきゃっ』て思いました。学校でもご家庭でも変わらず同じ様子、同じ物腰だったそうです。余り口数は多く無かったようでしたがちゃんとご家族ともココロは通じていたご様子。奥様曰く『幸せでした』という最高の褒め言葉を貰っていました。人を幸せにする。なんてことはなかなか出来ることではありませんからね。さすが寒河江チャンです。

オリンピックでは開会式で聖火台と共に現れた惑星の動きを思わせるオブジェの演出が印象的でした。シンプルで単純な動きなのにそれらを三次元に組み合わせると…凄く複雑な宇宙の運動を思わせる動きになるんですね。世の中の複雑にみえる多くの事象も然り、冷静に考えてみると実は根源的にはシンプルなのかもしれませんね。

■関連記事

・訃報:寒河江武志先生(旧34HR担任)
こちらから
https://bannan38.blogspot.jp/2016/02/blog-post.html

・『みんなのコメント読んでいるうちに、無性に会いたくなってきました。』
こちらから
https://bannan38.blogspot.jp/2016/08/blog-post.html
※寒河江チャンとの昔の写真もあります。

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写真と動画公開中…2016年夏!慰霊祭、懇親会@磐田

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2016年8月!30年ぶりに高38回生が磐田へ大集合しました!記事中の写真や動画リンクの閲覧には合言葉が必要です。(合言葉…メーリングリストでお知らせしているものです。)